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陳腐化しない「業務知識」と「業種知識」は営業パーソンの武器になる

西内啓の対談シリーズ、新章突入!みなさんのデータ分析にまつわる悩みを解決する弊社こと「データビークル」の魅力に迫るインタビューシリーズスタートです。今回登場するのはCEOの油野達也。ITセールスパーソンとしてキャリアを築き続けてきた油野が、なぜデータビークルを創業したのか、その経緯を語ります。

知識をタテヨコに広げて販路を拡大した営業マン時代

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西内 油野さんはもともとSEとして採用されたと聞いています。その後、どのタイミングで営業の道を志したのでしょうか。

油野 私は大学卒業後、独立系大手SI会社にSE志望として入社しました。ところが、当時の副社長が突然、「これからはダイレクト販売の時代だ。営業を強化しなければいけない」と言い出しまして、100人ほどいた新入社員に営業の選抜試験をさせたんですね。私はなんとなくそれに巻き込まれて、最後の11人に残ってしまったんです。それで、関西支社の営業としてスタートすることになりました。

企業向けの提案営業は、サービス業や病院、アパレルなど業種によってまったくソリューションが違うんですね。私は最初に食品卸の営業を担当したのですが、その業種、業態を知らないと話にならない。会話もしてもらえません。だからその業種について一生懸命勉強する。そうすると1個システムが売れる。するとだんだん類似のシステムが売れ始めて、その業種に関してものすごく詳しくなるのです。

ところが、新たに別の業種を担当するようになると、同じようにまた一から勉強しなければなりません。そこでわたしは、知識をタテヨコに広げることにしました。ヨコというのは同じ業種、タテが仕入れ先と販売先ですね。

例えば、アパレルの婦人服メーカーの内情が分かると、テキスタイルやチャックといった部品を扱う会社のことがわかるんです。そうすると、テキスタイルの会社にもプロダクトを売りにいけます。その流れで、今度は百貨店など小売に売りに行ける。そして小売のノウハウがつくわけです。そういうふうに縦と横に少しずつずらすことで、さまざまな業種の業務に詳しくなっていきました。

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IT技術についても20代の頃にものすごく勉強したのですが、勉強するそばから知識が陳腐化してしまうんです。当時はクローズなOSからオープンOSに切り替わった頃で、ネットワークの話しも登場してきて、これは勉強しても勉強しても追いつかないと感じました。

楽をするにはどうしたらいいかと考えてたどり着いたのが、「業務知識」と「業種知識」を深堀することでした。業務知識と業種知識は、勉強しても陳腐化しにくいんです。営業の面白さって、自分の提案で、お客さまの業務を変えることができるという点で、これはSEだけで成し遂げられることではありません。そうした営業のおもしろさに気づきこの道をひた走るようになりました。

27歳で営業責任者を拝命

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西内 営業の仕事は初めから順調だったのですか。

油野 1年ぐらいはまったく売れず、辞めてやろうと思っていました(笑)。当時は電話帳を渡されて、電話してアポイントメントをとって訪問させられるんですよ。今私たちがやっているような、リードジェネレーション(展示会やウェブサイトなどから得られた顧客に対してアプローチをしていく)という概念がないんですよね。エンドユーザーの営業というのは、「とにかく新規営業を頑張れ」という雰囲気でした。その経験が今に活きている部分もあるんですけど。

西内 そして気がつくと営業のエースになっていたんですね。

油野 そうですね。1年経ったらエースになっていました(笑)。SIという業界には、実は見積工数というものは存在してないんです。新規の契約がとれそうになったら、社内のSEに見積書を書いてもらって、最後は営業部の部長に書いてもらうんですけど、忙しいと誰も書いてくれないですし、新人営業マンはなかなか相手にされないわけです。大変でしたね。しかし一旦契約が取れ出すと、ちゃんと見積を作ってくれるようになるんです。そうした好循環が生まれるとマウンドを降りなくていいんですよね。

そんなふうに楽しく営業をやっていたのですが、いつしか上司の言うことを聞かなくなり、天狗になってしまって、3年間で上司が4回変りましたね(苦笑)。みんな数字を持っている油野くんが欲しいと言ってくださるのですが、最後は「あんなやつの面倒見られへん」ということになるのです。最終的には新しくできた京都支店の営業責任者を27歳で拝命しました。

ところがご存知かもしれませんが、京都と名古屋は誰がやっても新規営業が難しいと言われる地獄のようなエリアだったんです。新人の部下を2人連れて京都に行ったのですが、取引先では口も聞いてもらえませんでした。その取引先を3回目に訪ねて、帰るときにようやく、「油野くん、3回目まではお茶飲んだらあかんねん」と教えてもらいました(笑)。それまでがぶがぶお茶飲んでたのにね(苦笑)。

でも、京都は最初のハードルは高いのですが、一旦心を開いてもらえるととてもやさしいんです。一度内側に入ると「10年離さない」と言われるんですよ。何があっても僕は君としか取引しないからねというあたたかさがありました。

(続きます)

西内啓(にしうちひろむ) 株式会社データビークル 最高製品責任者
東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野助教、大学病院医療情報ネットワーク研究センター副センター長、ダナファーバー/ハーバードがん研究センター客員研究員を経て、2014年11月より株式会社データビークルを創業。自身のノウハウを活かした拡張アナリティクスツール「dataDiver」などの開発・販売と、官民のデータ活用プロジェクト支援に従事。著書に『統計学が最強の学問である』、『統計学が日本を救う』(中央公論新社)などがある。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)アドバイザー。

油野達也(ゆのたつや) データビークル代表取締役社長
1964年生まれ。大学卒業後、独立系大手SI企業に入社し、営業職に従事。1993年、関西NTTデータ通信システムズ(現NTTデータ関西)に転職、2001年から親会社であるNTTデータの営業部長に抜擢される。2005年よりソフトウェアの開発・販売事業を展開するインフォテリアで営業責任者を務める。2014年12月、データビークル設立と同時に現職に就任。

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「データサイエンスをみんなの手に。」を目標に掲げるデータビークルのオウンドメディア。「シティズンデータサイエンス」とは、統計学の専門家ではない一般の人々が、ツールを活用して手軽にデータを活用すること。豊富な実践事例や読み物で、データ分析の世界をより身近なものにします。