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誰も見たことがない商品を売るからスタートアップの営業は面白い!

西内啓の対談シリーズ。データビークル株式会社CEO油野達也の第2回目です。1人の営業パーソンからマネジャーに立場が変わったことで、ワークライフバランスについて考えるように。そして、油野の営業プロセスに転換期が訪れます。(前の記事はこちら
シティズンデータサイエンスラボは「データサイエンスを全ての人に」を掲げる株式会社データビークル(https://www.dtvcl.com/)が市民データサイエンスを広めるために発信しているnoteです。

マネジメントする立場になり、部下のワークライフバランスを重視するように

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西内 部下ができたことで、営業以外に学んだことも多かったのではないでしょうか。

油野 部下の指導の方法など、社外の人にもいろいろ教えてもらいましたね。新人の叱り方について、1つ下の主任に「自分にできることは当たり前にみんなもできると思ってはだめだ」と怒られたこともありましたね。

特に京都時代は遅くまで残って仕事をしていて、23時頃まで働いていたり、夜明け前に電車に乗って帰ったり、当時のワークライフバランスはめちゃくちゃでした。仕事のおもしろさはありましたが、ああなってはいけないと思います。

今は、新婚の社員には早く帰って家族でご飯を食べろと言っているんですよ。私からあまり食事などに誘うことはないですね。自分が若手の頃は、同僚と飲みに行っても「部長早く帰らないかな」と思っていたので(笑)、自分が部長になったときから二次会には行かないようにしていました。

仕事を一生懸命やるのはいいのですが、バランスが大事です。西内さんも勉強する習慣をつけなさいとよく言いますが、それを言い過ぎるとパワハラになってしまいますよね。難しいところですが、勉強ももちろんして欲しい。でもしんどくならない程度に励んで欲しいと思いますね。

営業プロセスの転換がもたらしたシステマチックなファネル設計

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西内 データビークルでは非常にシステマチックに営業のプロセスができています。良質なリードを獲得し、それらを順にナーチャリング(育成)していく。きれいにファネルが設計されています。そうした考え方はいつ頃身につけられたのでしょうか。

油野 NTTデータの営業部長だった時期でしょうか。NTTデータでは2000年頃に「SCAW」という、NTTデータが作ったERPパッケージを販売していました。

(※ERPとは…Enterprise Resource Planningの略。IT業界では「基幹系情報システム」を指すことが多い)

当時、SI関連の会社は企業サイトは持っていたものの、プロダクトのウェブサイトを作っている企業はほとんどありませんでした。そんな中私たちは、他社に先駆けてプロダクトのウェブサイトを立ち上げたのですが、そうしたら広報部に呼ばれまして、NTTデータ全体のPVよりそのプロダクトのウェブサイトの方がPVが多いと指摘されたんですよ。

それで「自社サイトに何千万円もかけているがそのPVを抜くだなんて、お前の事業部は赤字にもかかわらず、一体どれだけの金をかけているんだ」と怒られたんです(苦笑)。でも、私たち事業部はそのプロダクトのサイトを作るためにその数十分の一以下の費用しかかけていませんでした。

そのうち、ウェブサイト経由で発注をいただくお客さまが現れました。大手電機メーカーのグループ会社だったのですが、営業マンが営業に行かなくても受注できるのだという事実を目の前に突きつけられたのです。

当時、私は日経BPさんのウェブメディア(ITpro)に油野達也の「熱血!!第三営業部」という営業マン向けのブログを執筆していて、それがかなりのPV数を得ており、IT系の協会の集まりに行くと若手の営業マンが油野に熱狂するという時代だったのですが(笑)、これからは営業マンがいらなくなるのではないかと衝撃を覚えました。2002年頃のことだったと思います。

そのあと、プロダクトベンダーで未上場のインフォテリア(現在は株式会社アステリアに社名変更)という会社に転職しました。そこでもまた、衝撃の出会いがあったのです。現在、株式会社マクニカにいる堀野史郎さんです。

堀野さんとはある勉強会で出会ったのですが、ちょうど彼は外資系企業にいて、とても勉強熱心にリードジェネレーションやナーチャリングという概念を取り込んでいたのです。それで毎週新橋の居酒屋に来てもらって、これを教えて、あれを教えてくれと教えを乞いました。そのうち面倒だから油野さんの会社に行きますよと言ってくれて、その後2年ぐらい彼と一緒に働きました。B2Bのマーケティングとはこういうものだと、とても勉強になりましたね。

その後、BtoBマーケティングの大家である庭山一郎さんにも出会いました。庭山さんから教えを受ける中で、今のBtoB市場では、営業でもマーケティングでも「マネタイズ」が本質であるという考えに行き着いたんです。

データビークル創業前に、西内さんと私とで話しをしていたときに、「西内さんにはマネタイズできる人がついたら最強なりますよ」と言ったことは覚えてます?

西内 覚えています。それに対して私は、「そのマネタイズを油野さんにお願いすることはできないんですか?」と言いましたね(笑)。

油野 当時、私は上場企業(インフォテリア)の常務執行役員だったんですよ。この若者は上場企業の常務執行役員を引き抜けると思っているのかとおどろかされました(笑)。

「惚れるプロダクトが見つかった」データビークル創業の経緯

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西内 あの頃はまだ資金調達もできていない状況でした。油野さんはなぜデータビークルに参画しようという気になられたのでしょうか。

油野 理由は2つあります。西内さんからは外部の有識者として相談に乗ってほしいと言われていましたが、2人で話せば話すほど、ここにマネタイズできる人が1人入るとうまくいくだろうと感じたんです。2人で作った絵があって、ここにマネタイズできる人が入れば成功する。それは私でもいいわけですよね。「2人で話す中で成功が見えた」というのが1つ。

もう1つは惚れるプロダクトが見つかったということです。30代の頃から、私はプロダクトベンダーをやってみたいと考えていました。西内さんから相談を受けたときに、荒削りではあるけれども、西内さんやエンジニアたちと一緒にいいものを作りたいという気持ちが生まれました。

コモディティ化している商品は、営業の差別化ができません。営業活動は単純で勉強しなくていいんですが、仕事の面白みに欠けます。一方、スタートアップはこれまでに誰も見たことがない商品を売るわけですが、他にない商品について説明するのは非常に難しく、だからこそやりがいがあります。

私はそれまでインフォテリアやNTTデータでいくつかプロダクトを手がけてきて、自分で企画したものが売れたときの突き抜けるような快感というものを知ったのです。自分の手がけたCDが全米ヒットになるのと同じですね(笑)。dataDiverがはじめて売れたときも、その感激といったらなかったです。

あの時西内さんとも話しましたが、勝つ味を知るといいますか、自分たちが作ったものが売れる衝撃はすごいんですよね。

もっとよくしたい、もっとたくさん売りたいという気持ちになるのです。それがプロダクトベンダーのおもしろさですね。

(続きます)

西内啓(にしうちひろむ) 株式会社データビークル 最高製品責任者
東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学分野助教、大学病院医療情報ネットワーク研究センター副センター長、ダナファーバー/ハーバードがん研究センター客員研究員を経て、2014年11月より株式会社データビークルを創業。自身のノウハウを活かした拡張アナリティクスツール「dataDiver」などの開発・販売と、官民のデータ活用プロジェクト支援に従事。著書に『統計学が最強の学問である』、『統計学が日本を救う』(中央公論新社)などがある。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)アドバイザー。
油野達也(ゆのたつや) データビークル代表取締役社長
1964年生まれ。大学卒業後、独立系大手SI企業に入社し、営業職に従事。1993年、関西NTTデータ通信システムズ(現NTTデータ関西)に転職、2001年から親会社であるNTTデータの営業部長に抜擢される。2005年よりソフトウェアの開発・販売事業を展開するインフォテリアで営業責任者を務める。2014年12月、データビークル設立と同時に現職に就任。

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